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忍者の歴史

忍者の発祥地についてはいろいろな説がありますが、なかでも伊賀や甲賀の忍者は特に有名ですよね。
鎌倉時代の伊賀や甲賀は、その領地の大半が荘園であったため守護や地頭の支配を受けていなかったのですが、戦国時代に荘園が崩壊して地侍の勢力が分かれました。
それらが勢力を保つために情報戦やゲリラ戦が活発になったため、忍術が発達したのではないかと言われています。

忍者の活躍については、その性質から記録があまり残っていないのですが、そのなかでも記録が残っていたものをいくつかご紹介したいと思います。

まず、徳川家康が桶狭間合戦後に今川氏から独立して三河国奪還戦争の際、鵜殿長持の西之郡城を「忍」で取ると記載された記録が残っています。
その事については、近江国甲賀武士が奉行に差し出した書状に、甲賀21家が援軍として駆け付け夜襲や焼き討ちにより鵜殿藤太郎の首を討ち取った、とも記載されているそうです。

1578年ごろ、伊賀国は戦国大名に支配されない地域を形成していたのですが、織田信長が伊賀国の支配を企て兵を送りました。
しかし伊賀の衆は外部からの攻撃に対して結束して戦い、まず織田信長が送り込んだ築城奉行・滝川雄利を追放、さらにその報復として攻め込んできた織田信雄(織田信長の二男)の軍も壊滅させたそうです。
その後、これを聞いた織田信長は激怒し大軍を編成して自らも出馬、伊賀の忍者集団は壊滅的な打撃を受けたのです。その時に忍者の一部が、紀州など各地に離散して落ち延びたと言われています。

徳川家光の時代、老中たちが武断政策を強行に進めたことで浪人が増えて社会問題となり、島原の乱などの大規模な一揆が発生しました。
その島原の乱の際には、甲賀忍者の集団が一揆軍の立てこもった原城内に潜入し、敵の兵糧が残り少ないのを確認したという記録も残っています。

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